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Rising Sun Furano
– ライジングサン フラノ-
上富良野の丘の上に誕生した小さな宿。
Rising Sun Furano(ライジングサンフラノ)
オーナー・生川さんに、
20代の頃から抱き続けた宿への思いと、
この場所に込めた物語を伺いました。
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上富良野の丘の上。
大きな窓の向こうには、十勝岳連峰が広がっています。
季節ごとに表情を変える山々。
なだらかに続く丘陵地帯。
どこまでも高く感じる空。
その風景を静かに眺められる場所に、Rising Sun Furanoがあります。
客室は三部屋。
テレビはありません。
その代わり、この場所には、忙しい日常から少し離れ、自分の時間を取り戻せる静けさがあります。
Rising Sun Furanoのオーナーである生川さんが、宿をやりたいと思ったのは20代の頃でした。
なぜ北海道へ渡ったのか。
なぜ宿を始めようと思ったのか。
そして、なぜこの場所にたどり着いたのか。
そこには、一人の旅人が長い時間をかけて育ててきた物語がありました。
「お前は何を語れるんだ」
20代の頃、生川さんは北海道を旅していました。
その中で感じた風景。
人との出会い。
旅先で流れる時間。
いつか自分も、誰かの旅の記憶に残る場所をつくりたい。
そんな思いを抱くようになります。
しかし、その夢を相談した時、年上の方からこんな言葉を掛けられたそうです。
「お前は何を語れるんだ」
50代、60代のお客様が訪れた時、自分は何を伝えられるのか。
人生経験も知識も足りない。
その言葉は、生川さんの心に残りました。
宿はただ部屋を貸す仕事ではありません。
人と人が出会い、会話を交わし、時間を共有する場所です。
だからこそ、まずは経験を積もうと思ったといいます。
その後、30代になって北海道へ。
宿泊業の現場で経験を重ねながら、自分が本当に作りたい宿の姿を少しずつ形にしていきました。
そして2017年、富良野でライジングサンを開業します。

コロナがくれた転機
ライジングサンを始めてから三年。
少しずつ形になり始めた頃、コロナ禍がやってきました。
宿泊業界にとって、大きな転機だった時代です。
しかし生川さんは、その出来事を振り返りながらこう話します。
「コロナがなかったら、今もあそこにいたと思う」
先が見えない状況だからこそ、思い切って次へ進む決断ができた。
富良野の施設を手放し、新しい場所を探し始めたのです。
景色を探して歩いた日々
土地探しは簡単ではありませんでした。
実は最初に「ここだ」と思った場所があったそうです。
しかし農地法の問題などもあり、実現には至りませんでした。
そこから生川さんは、再び土地探しを始めます。
車ではありません、自分の足です。
毎日二〜三時間。
歩きながら土地を探しました。
「車だと見落とす場所があるから」
そう言って笑います。
そして出会ったのが、現在の場所でした。
ただし、生川さんが探していたのは土地そのものではありません。
本当に探していたのは景色でした。
十勝岳連峰。
丘陵地帯。
広い空。
「ここに建てたい」ではなく、
「ここから見える景色を届けたい」
それが土地探しの基準だったのです。
北海道の歴史に惹かれて
生川さんは三重県出身です。
実は以前から、北海道の開拓史に強い興味を持っていました。
明治時代、本州各地から多くの人たちが北海道へ渡り、厳しい自然と向き合いながら土地を切り拓いていった歴史があります。
生川さんが惹かれるのは、その「やり遂げる力」だといいます。
開拓者たちは、与えられた土地を期限内に開墾しなければなりませんでした。
途中で諦めることはできない。
何としてもやり遂げなければならない。
その覚悟に心を動かされるのだそうです。
そして上富良野には、明治時代に三重県から入植した人たちの歴史が残っています。
自分と同じ三重県から北海道へ渡り、この土地で生きた人たち。
その歩みを知った時、不思議な縁を感じたといいます。
上富良野で新たな宿づくりを決意した背景には、そんな歴史との出会いもありました。

想いを形にする設計士との出会い
土地が決まると、次は建物づくりです。
しかし、生川さんには一つの考えがありました。
「設計士には必ず入ってもらいたい」
以前の施設づくりで、その大切さを実感していたからです。
実は過去に、地元の建築会社へ何度も図面を依頼したことがあったそうです。
しかし、自分の考えていることがうまく伝わらない。
出てくるのは、どこかアパートのような図面ばかりでした。
そんな時に出会った設計士が、自分の考えている動線や想いを一度で理解してくれた。
その経験があったからこそ、今回も設計士を探しました。
札幌から旭川まで。
数多くの設計事務所のホームページを見ました。
作品ではなく、考え方を見るためです。
どんな想いで設計しているのか。
どんな姿勢で施主と向き合うのか。
そして出会ったのが柳先生でした。
設計に対する考え方に共感し、この人なら任せられると思ったそうです。
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